死にたい、消えたいの疑似体験…メンヘラとSM

病んでいる人と性癖

救われるSM ←→ 壊れるSM

上記のような軸でSMの性質を分けようとした場合、左は恋愛寄り、右は自傷寄りの何かに近いのではないかと僕は思う。このブログは右側を描こうと色々試してきた。
「SMは死にたいの疑似体験である」
澪編 の一文にその世界観が凝縮されている。
壊れるSMの話をしよう。

生き辛い人

人間には生存本能というものがある。したがって、ほとんどの人は生きていくことを自然なものとしてとらえている。生きていくことが楽しいかどうかとは無関係だ。毎日の生活に多少の不満はあるかもしれない。でも、根本的なところで「生きていたくない」などと思う事は無い。

この仮定の反対側に、マイノリティが存在する。澪はその一人だ。死にたい人。

他の体験者でもそうだという人がいる。このブログを読んで、私もそうだとメッセージをくれた人もいる。読者の中にも、そういう気持ちある人はいると思う。
実は、死にたいと思う人もかみ砕くと次の2種類に分けられる・本当に死にたい人・生きたくない人、消えたい人

前者は希死念慮と言って、治療の対象である。後者は正常にも異常の間にいる。白いゾーン の定義にも当てはまる。
いずれにしても、言葉として「死にたい」が出るか「生きたくない」が出るかは分からない。この二つは混同されやすく、当の本人も区別がついていないときがある。
間違いないのは、口に出した瞬間にその考えが否定されるということだ。
「そんなことを考えること自体がおかしい。ちゃんと生きろ」あなたの気持ちはどこにも行き場がない。
生きていたくない人が、毎日生きていくというのはどんな気持ちだろう?そんなことは想像もされない。
かくして、彼女らは「生き辛い人」になる。

一つだけ注記をしたい。
本当は、死にたい人だって生き辛い人だって、死は怖い。
それがどういうものかは分からない。
死が訪れた瞬間、自分の望みが正しかったのか、間違っていたのか分かるだろう。だが、得た結論が役に立つことはない。

死にたいの疑似体験

人間の適応力はすごいので、どんな異常な状況でも、ずっと接していると慣れる。
生きていたくない人も、生きていればとりあえず生きていることに慣れる。
それが現実であって、目の前で接し続けていられるからだ。居心地は悪いだろう。だが、慣れる。
逆に、想像の世界でしか起こっていないことには慣れない。特に未来の事は怖い。未来は絶対に確定しないからだ。
分からないのなら、確定させてしまえばいい。自分は生き続けていられるのだろうか?
逆に言えば死のうとしたら死ぬのだろうか?
ということである。
リストカットでそれを試す人もいる。死に近い状況になったら、どうなるだろう?という確認をするわけだ。
同じような話だ。SMでそれを試す。
自分でやるのが怖いとか、そもそもセーブするのが分かっているのでリアリティがない。他人が絡むことで、より現実的になる。

虐待のようなSMを想像する。甘美な誘惑に思える。
どこかで実際に踏み出す。実際にSMを体験する。
想像とは全く違うリアルな痛みに驚く。始まった瞬間に、とても耐えられないだとうと気づく。
踏みつけられ、罵られ、蹂躙される。
恐怖に襲われる。
想像の中のように、甘美な救いはそこに無い。

息があがる。ひたすら逃れたいと思う。
死に近づいて知る。こんな思いをするのは嫌だ。この先に何が待っているのかなんて、想像するのも嫌だ。
生きている方がましだ。
そう思う事が、死にたいの疑似体験の終わりである

肉体を通して伝わってくる痛みは、あなた自身に届くだろう。あなたの周りにで人の形になっている肉の塊が、自分自身であることを認識する。それが世界との境界線を形作っている事を知る。

生きるの疑似体験

死にたくないと思った後でSMが終わりかというと、そうでもない。まだ続く。そもそも死にたいという衝動が全然なくて、この領域でうろうろし続けている人もいる。

死にたくないのであれば生きていかなくてはならない。そのために色々なことを考えなくてはならない。
この価値観の転換は実に劇的になる。
どうでもいいと思っていた自分の事に意識が向く。女として生きていかなければならない。恋をして男に抱かれる。裸になって、全てを見せ合う。
生き辛い人の中にはセックスに無関心だったり、嫌いだったりする人も多い。上記のような事柄が本人にとって価値のないものなのだから、仕方がない。
そこに強く興味を持つというのは、価値観が変わる前からすると異常なのである。気持ちの上では全く興味が向かない。向け方すら分からない。

男とどう接していいか分からず、女としてどう過ごしていいか分からない。
強制感のあるSMは、ここに対応する。Mからすると、拒否権がない状態にあるなら従うしかない。
Sだから、主だから、従わなければならないから。

無理やりに、女としての自分と向き合わされる。

彼女らは、認めたくなかった事実をそこで知る。
もう子供ではない。無関係ではいられない。
自分はもう、性の対象となる女体を携えている。
重たくなった体が憎い。
もう大人になっている。
着飾って、化粧をして映画に登場する女優のように、さっそうと生きていく権利を与えられていることを唐突に意識する。
放り投げ続けてきた自分自身をメンテナンスしなくてはいけないことを知る。
一人ではできないかもしれない。そこに、主という存在が結びつく。

たった一人ぼっちだったあなたは、誰かに命令されながら生きることを強要される。
女として、一人の男に自分を捧げることを強要される。

性に向き合うことに生きていくことに強制的に慣らされる。
仕方がない。
自分が抗う事ができない何かだったら。
従うしかない。

あなたはこうして、慣れていく。

誰かと繋がりながら生きていくことに
女としての自分を必要とされながら生きていくことに
あなたが居ないと、怒る人が存在することに

明日や明後日、1週間後、1年後
あなたが投げ捨てたかったあなたの未来を縛る生があることに慣れていく。
違和感は消えない。でも、コントロールできるようになる。
いやだいやだと思いながらも、ずっとそんな環境に身を置くことで、あなたは一人の女として生きることに慣れさせられていく。

大嫌いな世界で、生きていくことに適応させられる。

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