お医者さんから見た「SMとこころ」

お医者さんの視点

SMとこころ」というカテゴリで、医学的な用語も交え、やや学問的にSMを紐解きました。
この記事を読んだ現役のお医者さんから感想をいただくことが出来たのでかいつまんで紹介します。

性の悩みは病院でも言えない

世の中の考え方や人格にちょっとくせがある人が、完全に病気とは言い切れないままに(もちろん精神科的な病気に至ってしまうケースは多いと思いますが)、なんとなく生きづらさを感じているんじゃないかな、、と思います。
病的症状の出現に至ってない人は、周りから見て分からないし、生きづらさを感じている当の本人もその生きづらさを自覚できていなかったり、または自覚していても発信できなかったりする気がします。
ハルトさんの考えてる事は、そういう病気未満の葛藤を(もしかしたら無意識に)抱えている人にスポットライトを当てていて、少なくともなかなか精神科ではアプローチできない部分じゃないかなー、と思います。カウンセラーさんにはもしかしたら、ちらっと言えることかも知れませんが、性癖とかの話はおおっぴらには出来ませんもんね。

記事で書かれていたような視点は今までなかったので、これを読んで救われる人も一定数いると思います。なかなかこういう事に気付いてくださる人+それを表現できる人はいない気がします。
こういう事に悩んでいる人は、内容が内容だけに例え精神科やカウンセリングに行っても話せなくて人知れず悩んでしまうからです。

アドレナリンの話

「SMプレイでアドレナリンが出る」ことについて補足します。

神経系に関しては、医学的には“中枢神経”と“末梢神経”の2つに大きく分類されます。
医学的にアドレナリンを使うケースは
・心肺停止などで無理やり心臓を動かしたい時、例えば食べ物アレルギーで起きるアナフィラキシー(細い動脈を締めて血圧を上げます)、喘息発作で気管支を広げたい時
などです。
アドレナリンの末梢神経系への作用を期待して割と命の危機的状況の時に使います。

アドレナリンの作用として解明されていないのは”中枢神経系での作用”のほうで、アドレナリンが例えば大脳などでどう働くかは分かっていません。
ここからは、自分の浅い予想ですが、もしかしたらアドレナリンは中枢神経での情動などに対しては何も働かないか、むしろ情動とか感情とかを抑制する方向に向かわせるのではないでしょうか?
なぜなら、アドレナリンが出る場面は命に危機が迫っていると本能的に認識した時であり、自分の感情などに構っていられない時です。
人間の持つ高度な脳機能は置いといて、動物として本能を駆使して、生き残るために体の機能を最大限に発揮しなければいけないと思うのではないかな、と思います。
嬉しくても悲しくても逃げなきゃいけないから、その瞬間はある種、動物のようになって感情は忘れるんだと思います。

スポーツの場面でも、アドレナリンが出る場面は大体選手は”無”になっていると思います。
その後、勝った時に感じる喜び、快感はどちらかというとドーパミンの作用によるものだと思います。
ランナーズハイの状態も、アドレナリンは分泌されているとは思いますが、むしろ脳機能的にはドーパミンの作用が大きい気がします。

アドレナリンの注射を、健常人の血液に注射すると、心臓に作用してしまい、不整脈を起こしてしまいます。やはり、ここから考えても、アドレナリンは体に大きな変化が起こるけれど、脳や心への影響は測れない、と言ったところが実態だと思いました。

でも、アドレナリンが出ると頭が麻痺しちゃう説はなんとなく、ハルトさんの考えてる事と親和性がある気がします。

自分を傷つけたい気持ちに対処法はあるの?

“自傷的マゾヒストがSMを通じて攻撃される事で、その不安を治癒に向かわせる事があり得るのか”という事について考えてみました。ざっくりでまだ詰めきれてないのですが、大まかに書かせてください。

結論から言うと、不安を治癒に向かわせる作用はあり得る気がすると言うのが私の予想です。
キーポイントは、自分への攻撃が”自”傷なのか”他”傷なのか、というところにある気がします。

何らかの不安や自罰の念を覚えると、自分を攻撃して、その罪悪感や負の感情を収めるために自分を攻撃したくなります。

→自傷であれば、攻撃し終わった後におこる感情としては、とりあえず負の感情への収拾をつけた+やはり自分は攻撃されるべき存在だから、自傷するのは仕方ない、という自己否定は残ったまま
→感情的には±0で、自分への攻撃は、「負の感情への対処療法」的な行為となる

一方、自分の負の感情を収めるための自分への攻撃を、自分の内面をある程度分かってくれて、受け入れてくれる他人(=Sさん)に任せられるとしたら…
→攻撃してくれるSさんは自分自分への攻撃をしてくれる人に攻撃してもらう
→その後で自分の事を受け止めてくれる
→負の感情への収拾をつく+罰せられなきゃいけないはずの自分が受け入れられた!
→感情的には間違いなく+で、「負の感情を処理した上での自己肯定を感じられる」行為となる

心理学的見方によってはもしかしたら、Mさんは、Sさんを自分の分身と捉えるかもしれません。
そうすると、SMは自分の分身(Sさん)が勝手に攻撃してくれて、そのあとで自分の分身が自分(Mさん)を受け入れてくれるという流れの行為です。
つまり、Mさんを受け入れてくれるSさんという存在が、Mさんの中で一体化する可能性があります。
これは、Mさんは自分一人じゃ絶対に自分を大切にする、という考えを持てない中で、新たに、自分を大切にする、という考えを覚えさせてくれる事なのかもしれません。

その体験を強固なものにしていったら、もしかしたらMさんは自分を大切にするという感覚が持てるのかもしれませんね。

自分を攻撃しなきゃ!という頑固な思考回路を持つMさんの場合、ただ何もされずに優しく自分を受け入れてくれるだけじゃ、その人のことを信用できないんだと思います。
攻撃されなきゃいけない自分、を正しく理解して攻撃されて初めてその人信じる事ができて、その人の自分への評価もすんなり受け入れられる気がします。

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