SM「調教」って、エッチな事とどう違うの?

SM調教とエッチ 調教って?

調教ってなに?

SMの入り口に立つと「SMする=調教する」みたいな文脈があることに気付きます。

「それで、調教って何するの?」
疑問そのままにググると、次のような解説が目につきます。

・調教=エッチな命令に従わせること
・調教=SMプレイの言い換え
・調教=痛みや恥ずかしさを快楽に変える

なるほどなるほど。
…いや、そういう事じゃない気がします。
巷でよく言われる「勘違いS」にそっくりなのが気になります)

改めて辞書を引いてみましょう。

[名](スル)動物を目的に応じて訓練すること。「盲導犬として調教する」「調教師」

goo辞書 調教 

とあります。
目的に応じて、という一文に注目です。引っかかっていた部分はここで、先の3つは目的がよく分かりません。

「エッチなことそれ自体が目的なんだよ!」ということも可能ですが、それならSMとか調教とかの言葉で遠回りしなくてもいい気がします。
一体、調教の正体とは何なんでしょうか?

この記事では、SMにおける調教について掘り下げて考えてみます。

より一般的な事柄を解説したものは下記の記事にもあります。

エッチな事が目的だと限界がある

回りくどく書いていますが、エッチ=調教とすると、一つの問題が生じます。
姉妹記事である「Aの調教」から考えてみましょう(下記参照)

このお話を読んで、読者の皆さんはどんな感想を抱いたでしょうか?
深読みしないでそのまま読めば「Aがただれた感じの一人エッチに目覚める話」とも捉えられます。

ここで、調教の目的=エッチなことの場合、その後はおそらく
・Aに繰り返し一人エッチをさせる
・内容をだんだん過激にしていく
といった具合に進んでいくでしょう(それくらいしかない)

そして、どこかで限界がやってきます。
飽きるか、これ以上過激にできなくなるか、過激にしすぎてトラブルに巻き込まれるか…
二人の関係はきっと、持続不可能でしょう。

Aはずるずると快楽に引き込まれた上、関係が途切れた瞬間から一人ぼっちになるという最悪の状況に陥ります。

これは、よく見られるSMプレイの問題点です。
もう一度言いますが、プレイそのものを目的とし、過激化していくのは限度があります。
先にあるのは終わりだけなのです。

性のモラルと罪悪感

Aの場合、背徳的な一人エッチにどこか後ろめたさを感じています。

世の中は性に対して厳格であり、特に幼いころは厳しくしつけられます。
すべての性的なことはアウト…くらいのモラルを刻み込まれることが殆どで、大人になっても簡単には上書きされません。

Aが一人エッチを始めた時期に注目してください。
思春期なると性欲が生まれます。
覚えたての自慰は、上記のようなモラルと激しく対立します。

この対立は、ノーマルであれば恋愛を通してうまく吸収されていきますが、アブノーマルの場合は困難です。あなたに惚れて近づいてきた異性に、自分から「〇〇(ノーマルではない欲望)してほしい…」などと打ち明けるのは、すごく高いハードルでしょう。

少し話は逸れますが、Mさんの話を聞いていると、いくつか共通項を持つことに気づきます。その一つは、思春期ごろの強い性欲。

男子であれば、性的なものに興味があるのは 「アタリマエ」で済むんですが女子の場合は、なぜかそうはいきません。
年若い女の子は、そんなものとは無縁でいなさい。いやらしいことなんかしていたら、将来立派な女性になれないよ。そもそもどうしてエロに興味を持つの?女の子のくせにおかしいんじゃない?
こんな感じで謎の圧力をかけられて、すっかり困ってしまいます。
こればっかりは、反抗期だからって反抗してもなんだか変です。

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そして、性欲は生理的な欲求なので、押さえつけ続けることなんてできません。
抑止力になるものもありません。自分の部屋、ベッドの中でこっそり一人エッチできてしまうのですから、いけないことだとは思いつつも、その味をすぐに知ることができます。

何度も隠れて一人えっちをするうち、なにか罪悪感のようなものが芽生えます。
「私は自分の快楽のためだけに…本当はダメなことをしている…」
やめよう、と考えるけれど気持ち良さには逆らえない。
したい、けどしちゃだめ。でも、したい…

ダメなことなのに、私はなぜ抜け出せないんだろう。どこかでこんな風にも思い始めます。
「…悪いことをしている自分には、いつか罰が与えられるのでは?」快楽の渦に堕ちながら、同時に湧き上がる不安。
小さなあなたは、たった一人でそれを抱え込むはめになります。

調教の本当の目的

話題を調教に戻しましょう。

観点を変えて、エロは単なる手段とし
目的=Aの気持ちのバランスを取ること
と考えてみましょう。

バランスを取る方法は、次のうちのいずれかになります。
1) モラルに対抗するため、欲望を強化して押し切る
2) モラルとの対立そのものを弱める

1)は、本記事の序盤で考えた「目的=エッチ」の方針とイコールです。
既に分かっているように持続不可能という難点のほかに、モラルとの対立が無くならない、という問題もあります。
天使と悪魔が頭の中で常にキーキーやりあってる状況が激化するだけです。
これは非常に疲れるので、他に全く手段がなければアリかもしれませんが、できれば避けたいですね。

2)はより良い手段です。
Aの場合は
・多少一人エッチの回数が多かったり、激しかったとしても、悪とは言えない
という客観的な事実に気づかせることがそれにあたります。
(Aの過激な妄想が消失したのも、罪悪感からの解放によるところが大きいかもしれません)

ここにSMじゃないとダメな必然性が生まれてきます。
アブノーマルな性癖は、同じようにアブノーマルな相手じゃないと理解しあえません。
この役割を担うのがご主人様であり、無意味なモラルからの解放こそが調教の目的である と言えます。

まとめ:SM調教とは

結論まで長かったですね笑
お疲れさまでした。

ダメだと言われているもののうち、実際のところ別にダメではない願望は叶えて、当たり前にしてあげる…

そんなややこしいことをしているのがSM調教と言えます。

もちろん踏み外してはいけないモラルももちろんあって、本人がコントロールできないようなダメージを与えたり、人に迷惑かけたりするのは当たり前ですがダメです。

何がOKで何がNGなのかを判断するのは完全にS側の器量で決まりますので、酸いも甘いもかみ分けた経験を持つ「良いご主人様」を選ぶことはとても重要です。
きっと、調教された側も、けれんみのない、イイMさんになるでしょう。

調教に関するまとめは、次の3点です。

・調教には目的がある
・無意味なモラルからの解放
・エッチなことは手段の一つ

最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。





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