(後編はこちら)
金髪の女
ぷつぷつと途切れがちな返信に不安を覚えたまま、僕は電車の中でスマホをちらりと見た。
15時の待ち合わせ。10分前になっても怜奈から返信はない。
冷やかしかな?とため息をつきかけたとき、ピコンと新着メッセージが表示された。
「もうすぐ着きそうです」
ぎりぎりのタイミングで繋がったことを内心、意外に思いながら、今日の服装を訪ねる。
「ニットと黒いスカートです」
「服が分かるような自撮り送ってくれない?人多い場所だから、見分けられないかも」
「それは大丈夫だと思います。金髪で目立つので」
渋谷駅の人ごみの中、僕は彼女を一目で見つける。
ひときわ明るい金髪の女の子が、目の前でスマホをいじっていた。
僕はこんにちは、と声をかける。
「あっ、こんにちは」
怜奈ははにかんで、次いで微笑んだ。
マスク越しにも分かる、裏表のない笑顔がそこにあった。
出会い系、風俗、SM
ほとんど無意識に、怜奈は協力的だった。
わずかにリードをとるだけで、彼女は僕の意図通りに行動した。
渋谷は彼女にとって慣れた街のようだった。
喫茶店までの道のりもおおよそ把握していたようで、方向音痴の僕にかわってあっち、こっちと歩いてくれた。
緊張していますという言葉とは裏腹に、怜奈の言葉ははきはきしていたし、何よりニュートラルな雰囲気があった。
物怖じせず、警戒もしなければ媚びもしない。
ほんの2、3言で、僕は彼女を気に入っていた。
怜奈は喫茶店のケーキを美味しそうに食べながら、やや上目遣いに僕の話を聞き、また子供っぽく笑った。
童顔の彼女にその表情はよく似合っていた。
「煙草、吸ってもいいですか?」
「もちろん」
怜奈はピース・ライトボックスに火をつける。
今時、紙巻のたばこを吸う女も珍しい。
今年21歳の怜奈は、そのままつらつらと自分の話をした。
「いまアルバイトしてて…夜の仕事です。ていうか、半分風俗なんですけど」
怜奈はメンズエステでアルバイトをしているという。
メンズエステというのは、名目上は風俗ではないが、グレーゾーンにある。
かなりきわどい格好で、男性客のマッサージをする。
「それが原因で、彼氏とけんかしちゃって。どうしようかなって感じです」
なるほど、と僕はうなずく。
一般的な感覚では、彼女が性的なアルバイトを始めたら嫌がるだろう。
「SMにはもともと興味あったんですけど、そういう体験って今までなくて。セフレはいますよ。でもやっぱり違うなって感じます。異性との出会いは…結構あります。ゲームで知り合った人とか、昔は出会い系もやってましたけど」
怜奈は性的には奔放なほうだった。
僕は詳しく聞いてみたい衝動に駆られる。
しかし、時と場所がそれを許さない。
その葛藤は、怜奈自身も感じていたみたいだ。
「喫茶店だと、あまり性癖の話は出来ないですね」
「それが問題なんだよ。だからお互い「アリ」だって事になったら、あとは場所を移して続きを話すようにしてる」
「そうなんですね。じゃあ、行きましょうか」
いいのか?と思ったのは僕の方である。
店に入って、まだ30分もたってない気がする。
視線に気づいた怜奈は、少しはにかむ。
「結構慣れてるんですけどね…こういうの。だって普通の出会いだと、女の方が次どうするとか、主導権持つじゃないですか。でも、今日は逆なのですごく緊張してます」
そうなのかな?
傍から見れば、彼女は何も緊張していないように見える。
しかし、人の言葉は、表情と一致しない。僕はそれをよく知っている。
お互いの間に流れる雰囲気は、相変わらず良好だった。
怜奈は不思議に、ただ自然と懐くように、僕のそばを歩いた。
誰かと体を交えること
異性と一緒にいるために、好意というもっともらしい理由が必要な人もいれば、そうでもない人もいる。
「好き」までいかなくても害意がないことが分かればいい、くらいのルーズさなのかもしれない。
怜奈もきっとその類で、割合すぐに、僕といることに馴染んだ。
機嫌がよければ鼻歌を歌い、暇を見つけては煙草をふかした。
僕を見つめて楽しそうに話している時間もあれば、まったく別のことに興味を奪われていることもあった。
その自由さが好ましい。
肌感覚が合う、合わない、があるとすれば、僕と怜奈は「合う側」同士だった。
「変ですよね。私、別に性的なトラウマもないし、家族だって仲良くて幸せで。なのにめちゃくちゃにされたいって思っちゃう」
道すがら、彼女はそんなことを話した。
「別にセックス好きなわけじゃないんですよ。だってオナニーのほうが気持ちいいじゃないですか?でも、なんか求められるのは嬉しいんです。承認欲求みたいな?」
そこに、わかりやすい「淋しさ」はない。
追い詰められた感じもなく、何かを怖がっている様子もない。
一般的な基準でいえば性にふしだらだが、性欲に支配されているわけでもない。
ただ、男の誘いは拒まない。求められれば応じる。
したくてしているわけではない。でも、したくないわけじゃない。
理由なんてないまま、経験人数だけが増えていく。
人懐こい目線が、ぼくに向けられる。
もともと、怜奈は人間が好きなんだろう。
無防備になつき、時に愛情をもらい、返していく。
ただそれだけのシンプルなやり取りの繰り返し。
僕はそこに、シンパシーすら感じていた。
怜奈の性癖
怜奈の希望は「DVっぽいプレイ」だった。
「殴られたり蹴られたりしたいって思います。でも、痛すぎるのは無理かな…。
本当は精神的に追い詰められる感じが好きなんですけど、うまくしてくれる人がいません。
服従したい、はあんまりないですね。この欲求がSMなのか何なのか、よくわからないんです」
DVプレイはよくない なんてことを書きながら、実はぼく自身は好きなプレイだったりする。
それが最も根源的な「尊厳の否定」に近いからなのかもしれない。
殴打とか人格否定というのは、生活していくうちに染み付く道徳とは最も遠い部分にあり、半ば本能的に拒否される。性的なメインカルチャーの外にあるSM枠の中でも、さらに少数派といえるだろう。
時折そういったプレイに理解を示す人らもいるが、その中でまともな人間性を備えるのは、稀な資質を持つ者だけだ。
今時のメイク、今時の距離感で、薄く広くの人付き合いをこなす怜奈にしても、いまだにそんな人とは巡り合えていなかった。
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