アブノーマルな世界なら、ちょっと変わっていたっていい?
SMの世界は、普通のセックスの延長にあるものと、そうでないものがある。
”ソフトSM” は目隠しや手錠、あるいはいやらしさを指摘されたりしながら、昂っていったところでセックスする、という前戯的な世界である。
もう一つは”本来のSM”…叩いたり、罵られたりと少しハードで、一見すると愛情とは程遠そうな世界である。
愛情に違和感のある人は、こっちなら気を使わなくて良いし、合ってるかも?と何となく思う。
今の時代、スマホでいくらでも情報は手に入る。
少しの好奇心を片手に、彼女らは実際にSMの世界を垣間見る。
そこに広がっている世界は、甘い蜜の世界である。
愛を受け取るために、セックスしなくてもいい。
それこそが精神的つながり。
プラトニックラブ。
なるほど、まさにそれが求めているものだ。
正常じゃない、愛の形。私の心を埋めてくれる何か。
主人公はあなたかもしれない。
すぐに飛び込むほどの度胸はないが、興味は膨らんでいくばかり。
しばらく、観察を続ける。
どんどん、ディープな世界に入っていく。
普通じゃ考えられないような、手ひどい虐待のようなことまでされている人がいる。
だが、M女は喜んでいる。
確かな愛情が感じられる、と。
興味を抑えきれなくなったあなたは、掲示板や、SNSに書き込むかもしれない。
ご主人様が欲しいです。
そう書いた瞬間に、”イメージとかけ離れたメッセージ”が飛んでくる。
「いじめてあげようか」
「犯してやるよ」
「奴隷になれ」
どぎつい性欲をぶつけられるたびに、いや、そうじゃない、と思う。
なんなんだろう、このすれ違いは。
ダメでもよかったはずなのに、実は皆まともだった
このすれ違いは不幸にして起きる。
彼らがイメージするのは、セックスに繋がる方のSMである。
股間を濡らして、男を受け入れ、愛情に昇華していくほうのSM。
それは、過去に躓いた普通のお付き合いと、セックスの、少し乱暴なバージョンに過ぎない。
叩かれたり、罵られたりして喜ぶアブノーマルの世界ではない。
ちがうんです、とあなたは説明を始める。
あるいは、似たような趣向の女性を参考にする。
「愛情も責任もないくせに、SMしたいとか言うな」
そうだそうだ、とあなたは思う。お
私はおもちゃじゃない。
何で、愛も何もない連中に使われないといけないのか!
「SMとセックスは別物なんだよ!」
その通りだ。
「自信を持ってください。M女といえどプライドを傷つけられたら怒っていいんです」
うんうん、ほんとだよね…
あれ、待って。そうだっけ?
私、そんなプライドなんてあったっけ?
ふと気が付いて見渡してみると「まともな」意見が溢れていることに気が付く。愛情を安売りせずに、きちんと愛してくれる人を探しなさいと説く人。
逃げ出したはずの、自己肯定感の高い、人生をエンジョイしている、愛情をちゃんと受け取れる人の、せりふ。
何のことはない。
自己肯定感の低い人が、SMをしているわけではない。
自己肯定感の高い人が、趣味としてSMをしているだけなのだ。
考えてみれば当たり前だ。
流されずに、ちゃんと自分で選ぶ人たち。
叩いたり、罵られたりしながら、きちんと愛情の交換をできる人たち。
彼女らに、足りない部分は何もない。
人間性の欠如。
なぜ、人を愛せないとダメなのか
なぜ、人に愛されないとダメなのか
そんなことすら、そんなにピンと来ていない。
せめて、普通のセックスで感じられたら良かったな。
あなたは居場所が、SMの世界にも無いことを認識する。
何度も繰り返して、納得すれば解消する
救いようのない話になってしまったが、このタイプの悩みの解決方法について書いておくと、意外にも「何回も繰り返してみる」ことである。
僕が思うに、この人たちはいろいろと鈍感で、何かに強く反応することが少ないのだが、許容範囲は広いという長所がある。
そして、何よりも納得するのに時間がかかる。
頭で考えたり、心の底に落とし込んだりするのが大変なのである。
ダメな事でも、何回も突き付けられないと分からなかったりする。
きっと、愛情も受け取れないわけではない。
その正体が何なのか、よく分かっていないだけなのだ。
多くの女性が20歳を境に大人になる。
仕事はアレにしようとか、何歳までに結婚しようとか、人生設計をちゃんとやりだす。
納得が遅い人は、そこまで未来をイメージできない。
体だけが女になり、心は少女のまま、周囲の変化についていけず、ちょっとずつ距離をあけながら、取り残されたような気分になっていく。
こういう人は、30歳までに大人になればよいと思う。
30歳がダメだったら、40歳、50歳でもいい。
M女の中にも、ある日突然「卒業」する人がいる。
最初はSMじゃないとダメだったけど、最後はSMじゃなくても良くなった、というのである。
彼女らはいろいろと試したり、失敗したりしながら、ちゃんと納得できた人なんじゃないかと思う。
地べたを泣きながら這いずり回った後に、蝶々のように、ふわりと空に舞い上がったのだろう。
間違い続けているうちに、正解じゃない領域が確定していく。最後には、塗られていない場所が小さく残る。そこが、あなたにとっての正解だ。
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