ご主人様と精神的SMの話

ご主人様って何?

「私、ちょっと変なのかも…」
過剰な性欲や歪んだ性癖をもつMさんは、そんなコンプレックスを持っています。
逃れようとすればするほど、絡みついてくるのが辛い所です。

過激なエッチも、一人でするエッチも、一時の逃げ場を提供してはくれますが、根本的に楽にしてくれるわけではありません。
逆に、すればするほど悩みや、自責感が増していくことすらあります。
性の問題が、いつしか「生き辛い」まで拡張されてしまうのです。

こうなると、もはやノーマルの共感や努力では、どうにもならなくなります。

フツウじゃないことで悩んでいるのですから、フツウの人がどうにかできるわけないのです。
従って、同じように歪んでいる人と共有することになります。
この存在こそが「ご主人様」です。

ご主人様やSは異常者なのか?

ノーマルではないという意味では、異常な部分を多かれ少なかれ持つでしょう。
Mさんも同様の議論が当てはまります。
お互いの歪み方がしっくりくるのか?という点が問題となります。

世間一般に考えられている「ドS」はいじわるな人でしょう。
意地悪されていい気分になる人はノーマルの中には居ませんが、Mさんの中には居ます。
ただし、Mさん全員が意地悪されるのが好きなわけではありません。
意地悪するのが好きなドSと、意地悪されるのが好きなMさんは引き合います。
それ以外の組み合わせではうまくいきません。

痛いことするのが好きな人もいます。
これは加虐思考のSさんです。
痛いことされるのが嬉しい人はノーマルの中には居ませんし、Mさんの中でも一部でしょう。
だいたい、人を叩いたりなんだりして楽しいだなんてどうかしてます(僕自身に対する自虐ですが…笑)世間一般の基準で考えれば異常者です。
でも、被虐嗜好のMさんと、加虐嗜好のSさんはかけがえのないパートナーになるでしょう。

こんな風に、視点を変えれば異常かそうでないかは変わってきます。
Sさんは特別な嗜好を持った人には違いありません。
でも、Mさんと同じように個人ごとの性格も、考え方も違います。
ひとくくりに「Sとは…」を言うこともできないのです。

誰もしてくれないことをしてくれる人

さて、もう一歩進んで考えましょう。
特別な嗜好を持っているから自動的にご主人様になれるわけではありません。
そう呼ばれるためには、Mさんを理解し、寄り添う必要があります。

上記の記事では、一歩も動けなくなるまで自分を追い込んでいるMさんが描写されています。
ここで登場するMさんは、ものすごく窮屈なくせに「周りから求められた正しさ」を実践してもがいています。本当にそれが良いことだと信じているなら、SMの世界に接することは無いでしょう。
でも、心のどこかで何かおかしいな、もっと開けた世界があるんじゃないかな…と思っているから、おっかなびっくりSMの世界に足を踏み入れようとしているのです。

水の話、でMさんが大事にしている水…モラルは、それ自体価値のあるものです。
世の中から見れば、清廉潔白な人物の方がいい。
しかし、それは禁欲的でもあります。
Mさん自身の満足とはちょっと違うのです。

仮に、ドMなその子が内心で「殴られたい」みたいなアブノーマルな欲望を抱えていた場合は、モラルを守っている限り、永遠に苦しみ続けるでしょう。
だって、解消されることがないですから。

ご主人様がぶつかるのは、そんな「悪」です。
「殴ってほしいです」とMさんに言われたとき、できますか?

ノーマルな人なら「それはあなたのためにならない」「そんなことをしても意味がない」といった理由をつけて、どこかのタイミングでストップするでしょう。

その言葉は、正しいかもしれません。
人を傷つけてはいけない、自分がされて嫌なことをしてはいけない。
女性は優しく、大切に扱わないといけない。
くれぐれも、泣かせてはいけない…。

でも…相手がそれを望んでいるのだとしたら?
ご主人様が向き合うのは世間一般のモラルでしょうか。
それとも、目の前でやり切れない思いを抱えたMさんでしょうか?

イコール悪いことをする人、ではない

以上の話は、あくまでたとえです。
相手が望んでいるから、ご主人様だから、相手を叩いていいという事ではありません。
そんなものは何も言い訳になりません。

人を叩くのはいけないことです。

最低限、そういうことを理解している人が「ご主人様」たりえると僕は思っています。
SMの名のもとであれば何でも許されるわけではないのです。
ここをはき違えている人は間違いなく、相手のMさんを不幸にしてしまうでしょう。

叩かたい、罵られたい、〇〇されたい…
禊のようなこの行動は、真面目で自責感の強いMさんほどエスカレートしていく傾向にあります。
自身の幸せとは程遠い、許されるためだけの不幸なセックスを選ぶという場合すらあるのです。

そんな、Mさんの負い目に代わりに向き合うことはできるでしょうか。

「どうして殴ってくれないのよ!」

正しくないから。悪いことだから。
そう言って、拒絶するのは簡単です。
喜び勇んで殴りつける。それでは単なる異常者です。

どうしろと言うんじゃ、と思う人はご主人様にはなれません。

時に相手は泣き出します。

そこから更に追い込むことはできますか?
Sさんも、男も、ご主人様も、常識や倫理の葛藤と常に戦っています。
泣き出したら「うっ」と思うし、殴ってくださいと言われたら、内心、どこかで絶対躊躇します。

Mさんの孤独は、誰にも理解されないでしょう。
Sさんはどんな行動を選ぶでしょう?なんにしても、それは誰にも理解されないし、理解を求めるようなものではないでしょう。

相当な覚悟をもってその世界に飛び込んできたMさんに、敬意を持って向き合いましょう。
その異常さから目を逸らさず、等しくリスクを背負って対峙するのがSさんです。

いい人ぶってもしょうがない

ぎりぎりまで踏みにじられて、追い込まれて、初めて流す、自分のための涙。
SMの場で出てくる涙は、普通に暮らしていたら、絶対に出てこない涙です。

それは、ずっと憧れていた歪な性に対する喜びかも知れません。
全く逆に、ずっと許せなかった自分自身への断罪かも知れません。

SMプレイというのは、他人に褒められるようなものではないです。
ご主人様がしていることも然りです。

一生懸命になるあまり、時にはやりすぎて嫌われたり、誤解されてしまうことだってあるでしょう。
でも、それもしょうがないことだと思います。

もともと、ご主人様なんて悪役です。

女体を踏みにじり、乙女心の内側に踏み込んで、性という聖域まで犯し尽くす。

ひどいですね、本当に笑

でも、真っ赤に泣きはらした目でしか見えない明日もあります。
泣きながらじゃないと言えない本音があります。

それで救われる人もいれば、求めるものがSMではないと気付いて、嫌いになる人だっているでしょう。でも、アリなのかナシなのか分かるだけでもいいんです。もしもノーマルな恋愛の端っこにでも出戻れるのなら、そこにはSMよりもずっとたくさんの受け皿があります。

問題は、暗闇に向かって歩いていくMさんたちの方です。
自分はおかしいのかもしれない、このまま誰にもわかってもらえないのかもしれない。
そんな孤独と、不安の中を独りで、先に道があるのかも分からないまま進んでいます。

そんな真っ暗な夜、自分の歩く方向すら見失ってしまいそうなとき、見あげれば遠くに光る灯台。
それが、Mさんにとってのご主人様なのだと思います。

Mさんが大事に「持たされている」もの

心に溜まったいい子の水

の話は、恋愛と支配が混ざり合った「精神的なSM」を描写している側面もあります。

以下のような傾向を持つMさんには特に好調です。
・自分に自信がない
・元気がない(?)
・真面目すぎると言われる

いい子の水とは何なのか

縁ギリギリまで水が入ったコップは、初めて調教を受けるMさんの内心の比喩です。
性欲、コンプレックス、壊れたい願望…
破裂しそうなくらいに膨らんだ、自分自身への葛藤。
何かが、溢れる寸前まで溜まっているのではないでしょうか。

タプタプの水を携えて歩くのは至難の業です。
こぼれないか気になって、行きたい場所があっても、やりたいことがあっても、身動きできません。
そんな状態なのに、調教で揺さぶらるのですから、当然のごとく水がこぼれます。

ああ、こぼれてるどうしよう、拭かなきゃ
でも、動いたらもっとこぼれちゃう…

Mさんは動揺します。
本人にとっては極めて深刻な問題です。
今まで大切なものだと教えられてきて、実際に大切にし続けて来たものが、どんどん失われていくのです。
この世の終わりのように悲しい顔をしながら、ご主人様に抵抗するかもしれません。

「できません、それはいけないことです!」

Mさんは戸惑い、泣き叫びながらそう言うかもしれません。

でも、別にそれでいい気がします。
大切なのは、溜まった水をこぼさないことではなく、そこにいつでも水を注げるような、強い自分になることのはずですから。

実際のところは水がこぼれたって、その床を拭かなくたって、大した問題ではありません。
それは汚れでも何でもなく、いつしか乾いて消えるものに過ぎないのですから。

バシャバシャこぼしたあとは、自由に歩けるようになります。
そして調教が終わった後、ふと、外側に世界が広がっていることに気づきます。

水はMさんのモラルであり、価値観であり、行動規範そのものです。
その「ルール」を少し減らすことで、自由度が上がります。

そう簡単に捨てられないモラルと価値観

Mさんは単語の印象とは裏腹に、真面目で責任感が強い人が多いです。
この性質は仕事や体育会系サークルでは良い方向に働き、高評価を得ることでしょう。
一方で休日、フリータイムはあまり楽しめていません。

フツウに恋愛しても、相手のアラが目についたりしてそこまでのめない…といった印象も持ちがちです。
うまくいかない恋愛は自信を失わせ、自信を失いうといろんなことがうまくいかなくなります。

冒頭のような性格のMさんは、職場のように上下関係があった方が楽だなーと考えたりします。そこには規範があるからです。
ここでSMがフィットする可能性が出てきます。
ご主人様とMさん…には明確な上下関係があるからです。
アブノーマルな関係なのに、なぜかしっくりくる…カギと鍵穴がぴったり合うように、いいご主人様と巡り合ったMさんは自信を得て、様々なことが改善していきます。

依存的にならないように気を付けて

「ご主人様がいないと、私はダメなんです」
時々吐き出されるMさんの弱音。ご主人様はちょっと困った顔をして
「それは、俺も同じだよ」
と答えるかもしれません。

一つだけ、ごまかしようがない真実を述べておきましょう。
Mさんの弱さはMさん自身のものであり、ご主人様が責任を持つべきものではありません。

あまりに依存的では、ご主人様も疲れてしまいます。

「お前が自信を持てるように教えるから、こっちに向かって歩いてきなさい」

ご主人様は道を指し、自らもその方向に歩いてみせます。
でも、頭では分かっていても、不安で歩き出せないMさんは踏み出すことができず、ぽつんと一人、佇んだまま。

Mさんだって、ご主人様の負担になることは避けたいでしょう。
でも、あなたに気づいたご主人様は、その姿を見て引き返してくるかもしれません。

歩けないなら、ちゃんとお願いして、手を引いてもらいましょう。

無理して、一気にご主人様の前や、真横に並ぶ必要はないです。
でも、少なくとも手がつなげる距離までは、自分で歩いていかなくてはいけません。

自立しても一緒に居られる

時々悪い人もいますが、だいたいのご主人様は、Mさんを幸せにしてあげたいと思っていることでしょう。
そのためには、山あり谷ありの歩きにくい道を先に歩いて確かめ、後に続くMさんがなるべく楽について来られるように、教えてあげられたら良いなとも考えているのではないかと思います。

厳しいことを言うようですが、Mさんも甘えっぱなしではいけません。
歩調を合わせ、手をひいてもらうことをすべてにしてはいけないのです。
繋がれた手に安心せず、一つ一つを自分の足で踏み越え、” 私ひとりでも歩けるんだ ” と気づいていくこと。
そんな覚悟をもつのは大きな壁です。
でも、その覚悟は、他の誰であっても…完璧なご主人様であっても、与えることは出来ないのです。

Mさん自身が「自分で歩く」と決めた瞬間にしかきっかけは訪れません。

ノーマルの関係で解消できなかった性癖を確かめてみることで、自分が何者なのか分からない不安を消すことができます。
その時には、ただ空虚に性的欠乏を埋めるのではなく、Mさん自身が納得して、前に進む力を得ていきましょう。
Mとしての自分を認められ、居場所を得たら、自立する時がきます。

自立したら、もはや主従じゃなくなるじゃないか、と思うかもしれません。
それでもいいんです。
主従から、ノーマルな恋愛に切り替えればいいだけです。

その時には既に、Mさんとご主人様は考え方を共有した、最高の理解者になっているんですから。

(参考記事)

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