SM的(あるいはエッチな)調教とは何か
「調教をお願いします」と言って頭を下げるMさんの姿。SMの象徴的な場面です。
調教という言葉はかなりSM独特です。通常は動物に対して使われる言葉であって、人間に対しては「躾け」などという事が殆どでしょう。あえて調教という言葉を使う理由は、する側/される側が対等な立場ではないことを強調しているのかもしれません。
見慣れていない人からすると、一体何が始まるんだろう?調教とは何を指しているんだろう?という疑問を持つでしょう。また、パートナーさんから「今度、調教するからね」と言われて不安(+ドキドキ)に感じるMさんもいると思います。
この記事では、SMやエロ事に関する「調教」について解説をします。
一般的に調教とは何を指すのか?
SMの入り口に立つと「SMする=調教する」みたいな文脈があることに気付きます。
「それで、調教って何するの?」
疑問そのままにググると、次のような解説が目につきます。
・調教=エッチな命令に従わせること
・調教=SMプレイの言い換え
・調教=痛みや恥ずかしさを快楽に変える
なるほどなるほど。
…いや、そういう事じゃない気がします。
(巷でよく言われる「勘違いS」にそっくりなのが気になります)
改めて辞書を引いてみましょう。
[名](スル)動物を目的に応じて訓練すること。「盲導犬として調教する」「調教師」
goo辞書 調教
とあります。
目的に応じて、という一文に注目です。引っかかっていた部分はここで、先の3つは目的がよく分かりません。
「エッチなことそれ自体が目的なんだよ!」ということも可能ですが、それならSMとか調教とかの言葉で遠回りしなくてもいい気がします。
一体、調教の正体とは何なんでしょうか?
調教の目的
答えを簡単に言ってしまうと「S側の思い通りになるようにMに罰を与える」
もっと端的に言ってしまうと「Sの思い通りにする」ことと等しいと言えます。
あまりにストレートですが、それだけです。
本当に単純に、調教する側の意に添わせること以上の意味は調教の中にありません。
従って調教を受ける側は、それを受け入れた時点で「調教者様、あなたの正義に従います」という意思表示を示していることになります。
調教と原理
冒頭にも述べた通り、調教が行われる対象は多くは動物です。
動物の調教はイメージするよりもかなり直接的で、失敗したら罰を与え、成功したらご褒美を与えます。
動物は言って聞かせても分からないので、昔は体罰を加えていたようです。
今はどうなのか分かりません。
また、人間でも動物でも同じですが、罰と褒美によって行動が変化します。
罰、つまり不快なことが起きると、その行動をとりにくくなります。
褒、つまり心地いいことが起きると、その行動を繰り返すようになります。
記憶は反復することで強化され、一定のラインに達すると行動規範に変化します。
何度も怒られたことはしなくなりますし、人から褒められる事は常にするようになります。
私たちが過ごす日常でも、躾けや教育といったものが似たような原理で行われています。こちらは公衆道徳の方向を向くように、大まかな道筋が最初から敷かれています。
SM的調教の行く末
SMプレイができるように調教する、というのは一見矛盾しています。
スパンキングを例にとって考えれば、最初は痛くて耐えられないでしょう。
これが段々と耐えられるようになったら調教成功なのか?と考えると、どうもそれも違う気がします。
耐えられる度合いが上がるほど、責めもランクアップしていくのでキリがありません。
仮にMさん側が無限の耐久力を身に着けて、Sさんがいくら責めても動じないようになったら…
調教失敗ですよね。
SMプレイを楽しめる関係性とは言えないからです。
スパンキングはむしろ罰として与えるもの、と考えた方が自然です。
何か粗相をしたときに罰として鞭打たれ、認識を改めたならそれは調教成功と言えます。
エッチな調教の目的は?
他によくあるのは「自発的にエッチなことをするように調教する」というものです。
エッチな事をする、というのはモラルの観点からはなかなかしにくい事です。
一方で内側から湧き出る性欲と衝突し、思い悩むパターンもあります。
このような場合、エッチな調教を施すことはプラスに作用するでしょう。
エッチになって何の得があるのか?は本質的な問いです。
秘めたる願望がある場合は解決策の一つとなり、ストレスが減って元気になれます。
そうでもない場合も、気持ちいいことをより楽しめるようになる、というメリットはありそうです。
あまりその気がない場合は、モラルの破壊にばかり目が行って破綻することも多々あります。
調教に耐えられなければどうなるのか?
耐えられなければ、その調教をやめるより他ありません。
やめることによって調教する/される の関係が崩れ、戻らないヒビが入る場合もあります。
でも、これは仕方のないことです。
現実的にも、調教は成功することもあれば失敗することもあります。
みんなができるように見えるのは、成功した個体ばかりが集まっているからです。
動物(人間も)は個体差があり、向き不向きや、できることできないことの差があります。
関係を大事にしたければ、調教そのものにこだわらず、共存していける道を探るのも一つの方法です。
調教の内容が良いものか悪いものかは、調教そのものにはあまり関係ない話です。パートナー同士、個人同士の関係ですから。SMの場合は目的が固定されているわけではありません。目指すものは様々です。あえて言うなら「一通りのSMプレイができること」がゴールと考えられなくもありませんが、そもそもSMプレイが何を指しているのか?は共通の定義がなく、各々でブレているのであまりあてになりません。
SM調教とは何か?② もうちょっとウェットな解釈
本当に単純に「調教する側の意に添うように覚えこませる」以上のことは無さそうです。
Sさんの価値観に、Sさんの中の正しいことに批准します、という意思表示ですね。
その内容が良いものか悪いものかは、調教という行為にはあまり関係ない話です。
これでは困ることもあると思うので、もうちょっとウェットな解釈をすると、調教によって
初期には「出来なかったことをさせる(背徳への挑戦や、エロ)」
中盤では「思考、行動」
後半では「感情」
を支配していくイメージです。
恋愛とそんなに変わらないですね?
エッチな事が目的だと限界がある
回りくどく書いていますが、エッチ=調教とすると、一つの問題が生じます。
姉妹記事である「Aの調教」から考えてみましょう(下記参照)
このお話を読んで、読者の皆さんはどんな感想を抱いたでしょうか?
深読みしないでそのまま読めば「Aがただれた感じの一人エッチに目覚める話」とも捉えられます。
ここで、調教の目的=エッチなことの場合、その後はおそらく
・Aに繰り返し一人エッチをさせる
・内容をだんだん過激にしていく
といった具合に進んでいくでしょう(それくらいしかない)
そして、どこかで限界がやってきます。
飽きるか、これ以上過激にできなくなるか、過激にしすぎてトラブルに巻き込まれるか…
二人の関係はきっと、持続不可能でしょう。
Aはずるずると快楽に引き込まれた上、関係が途切れた瞬間から一人ぼっちになるという最悪の状況に陥ります。
これは、よく見られるSMプレイの問題点です。
もう一度言いますが、プレイそのものを目的とし、過激化していくのは限度があります。
先にあるのは終わりだけなのです。
性のモラルと罪悪感
Aの場合、背徳的な一人エッチにどこか後ろめたさを感じています。
世の中は性に対して厳格であり、特に幼いころは厳しくしつけられます。
すべての性的なことはアウト…くらいのモラルを刻み込まれることが殆どで、大人になっても簡単には上書きされません。
Aが一人エッチを始めた時期に注目してください。
思春期なると性欲が生まれます。
覚えたての自慰は、上記のようなモラルと激しく対立します。
この対立は、ノーマルであれば恋愛を通してうまく吸収されていきますが、アブノーマルの場合は困難です。あなたに惚れて近づいてきた異性に、自分から「〇〇(ノーマルではない欲望)してほしい…」などと打ち明けるのは、すごく高いハードルでしょう。
少し話は逸れますが、Mさんの話を聞いていると、いくつか共通項を持つことに気づきます。その一つは、思春期ごろの強い性欲。
男子であれば、性的なものに興味があるのは 「アタリマエ」で済むんですが女子の場合は、なぜかそうはいきません。
年若い女の子は、そんなものとは無縁でいなさい。いやらしいことなんかしていたら、将来立派な女性になれないよ。そもそもどうしてエロに興味を持つの?女の子のくせにおかしいんじゃない?
こんな感じで謎の圧力をかけられて、すっかり困ってしまいます。
こればっかりは、反抗期だからって反抗してもなんだか変です。
そして、性欲は生理的な欲求なので、押さえつけ続けることなんてできません。
抑止力になるものもありません。自分の部屋、ベッドの中でこっそり一人エッチできてしまうのですから、いけないことだとは思いつつも、その味をすぐに知ることができます。
何度も隠れて一人えっちをするうち、なにか罪悪感のようなものが芽生えます。
「私は自分の快楽のためだけに…本当はダメなことをしている…」
やめよう、と考えるけれど気持ち良さには逆らえない。
したい、けどしちゃだめ。でも、したい…
ダメなことなのに、私はなぜ抜け出せないんだろう。どこかでこんな風にも思い始めます。
「…悪いことをしている自分には、いつか罰が与えられるのでは?」快楽の渦に堕ちながら、同時に湧き上がる不安。
小さなあなたは、たった一人でそれを抱え込むはめになります。
調教の本当の目的
話題を調教に戻しましょう。
観点を変えて、エロは単なる手段とし
目的=Aの気持ちのバランスを取ること
と考えてみましょう。
バランスを取る方法は、次のうちのいずれかになります。
1) モラルに対抗するため、欲望を強化して押し切る
2) モラルとの対立そのものを弱める
1)は、本記事の序盤で考えた「目的=エッチ」の方針とイコールです。
既に分かっているように持続不可能という難点のほかに、モラルとの対立が無くならない、という問題もあります。
天使と悪魔が頭の中で常にキーキーやりあってる状況が激化するだけです。
これは非常に疲れるので、他に全く手段がなければアリかもしれませんが、できれば避けたいですね。
2)はより良い手段です。
Aの場合は
・多少一人エッチの回数が多かったり、激しかったとしても、悪とは言えない
という客観的な事実に気づかせることがそれにあたります。
(Aの過激な妄想が消失したのも、罪悪感からの解放によるところが大きいかもしれません)
ここにSMじゃないとダメな必然性が生まれてきます。
アブノーマルな性癖は、同じようにアブノーマルな相手じゃないと理解しあえません。
この役割を担うのがご主人様であり、無意味なモラルからの解放こそが調教の目的である と言えます。
まとめ:SM調教とは
結論まで長かったですね笑
お疲れさまでした。
ダメだと言われているもののうち、実際のところ別にダメではない願望は叶えて、当たり前にしてあげる…
そんなややこしいことをしているのがSM調教と言えます。
もちろん踏み外してはいけないモラルももちろんあって、本人がコントロールできないようなダメージを与えたり、人に迷惑かけたりするのは当たり前ですがダメです。
何がOKで何がNGなのかを判断するのは完全にS側の器量で決まりますので、酸いも甘いもかみ分けた経験を持つ「良いご主人様」を選ぶことはとても重要です。
きっと、調教された側も、けれんみのない、イイMさんになるでしょう。
調教に関するまとめは、次の3点です。
・調教には目的がある
・無意味なモラルからの解放
・エッチなことは手段の一つ
最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。
実際に調教としてどんなプレイをするのか、一例をまとめた記事もありますので、よかったらこちらもご覧ください。
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