変わらない町
Aは、大学生になった今でもずっと、同じ町で暮らしている。幼いころから見てきた街の景色は所々新しくはなっているが、基本的には変わっていない。
一人暮らしをしたいと思ったことはある。だが、手間や出ていくお金を考えると、そこまで強い動機にはならなかった。現状に心から満足しているわけではないが、変えるほどの不満もないのである。
そもそも、Aにとって望ましいのは、刺激に満ちた暮らしではなく、変わらない日常だ。
実家の居心地は悪くないのである。両親ともうまくやっている。
一緒に暮らしていれば腹が立つこともあるし、反抗した時期もあったけれど、やっぱりいいとこもある。その価値観をAも認めている。
退屈なのは甘んじて受け入れよう。それは穏やかで不自由のない暮らしの代償なのだ。
とはいえ、最近はちょっと息苦しく感じることもある。周りにいる人たちは、子供のころからAを見続けてきた大人たち。小さかったAも、いまや女らしい体になり、化粧までしている。
体の悩みはあまりなかったが、胸がちょっと育ちすぎたのはAの計算外だった。目立ちたくないAにとって、そんなことで人の視線を集めるのは嫌だった。なので、小さく見せるための下着をつけたりして、いろいろと努力をしている。そのかいあってか、地域の大人たちがAを性の対象として見ることはない。
Aはその日、夕飯の買い出しに出ていた。
地元の小さな商店に寄ると、馴染んだ顔のおじさんが出てくる。
「おお、Aちゃん。そろそろ新しい彼氏は出来たのかい?」
「あはは、全然なんですよぉ」
「そうか、寂しくなったらいつでも俺のところに来てくれよ!ハハハ」
セクハラまがいの会話も、気心の知れた仲で交わされる分には問題ない。
Aは適当に受け流しながら、高校時代にも同じ質問をされたなぁ、と思い出していた。
当時は彼氏がいた。
そのことについては根掘り葉掘り聞かれた。
性格的に問題がなく、いい家庭を築きそうか?
気持ちが通い合っているか、なんてことは聞かれなかった。
彼らは「地域の子供」であるAが、おかしな相手と付き合っていないかだけが気がかりなのだ。
Aに幸せになってほしいし、現実的なことを言えば、もし結婚したら同じ地域に入ってくる人間かもしれないのである。
だから、人物のチェックには余念がなかった。
(私には、プライベートがないなぁ…)
答えなきゃいい話なのだが、そうもいかない。
なんとなく、嘘をついているようで息苦しくなってしまう。
不器用なAは、素直ではあったが、ストレスもため込みやすくなっていた。
変わらない日々
Aには出会いがない。
高校も大学も女子が多いところだったし、アルバイトもほとんどしていない。そもそもAは人見知りで友達も少ない。その代わり、一度仲良くなれば、それなりに深い付き合いはしているつもりだ。
「ねぇ、Aってどういう人が好きなの?」
「うーん…○○みたいな人?」
友達のDとファミレスでドリンクを飲みながら、何度となく繰り返された話題に興じる。この質問に、Aは明確には答えられない。リアルに接したことのある男性のサンプルが少なすぎるのだ。だから、とりあえず好きな俳優の名前を挙げて濁す。
「あれ、面食いじゃないと思ってたんだけど」
「じゃないけど、見る分にはかっこいい方がいいでしょ?」
「現実的な恋人の話よ」
分かっている。テレビの中の人と、理想の恋人は違う。ていうか恋人ってなんだろう?
Aはお付き合いも、性的経験もゼロというわけではない。その時は友達から紹介されて、相手から告白されたから付き合った。それなりに楽しかったが、それが愛情かと問われると自信がなかった。A自身、恋をしているという感覚は薄かったのである。
相手に大きな問題が無ければそれでよかった。
この人が私の相手です、と公表できるようなまともな人。
人に迷惑をかけない人、私に迷惑が掛からない人。
もうちょっと恋愛に燃えてみたい気もするが、そういう観点で選んでいることに薄々は気づいていた。
先の質問も何度も繰り返されたか分からない。その理由は結局、Aが明確な答えを返せていないからに違いなかった。
「ねえ、聞いてる?」
「あ、ごめん、なんだっけ?」
「だから、合わないのよ。今の彼」
「何が?」
「アレの相性」
どこかに行きかけた思考を引き戻され、そのまま惹きつけられる。
友達曰く、エッチがよくないらしい。
Aの中には、相手の評価に「性的に合うか」なんて項目は無い。
結局のところ、セックスは結婚して子供を作るまでの一過程に過ぎない。
ダメじゃない、で十分だと思っている。
そもそも、性的に合うって何なんだろう?
気持ちよくなって、イキまくる、なんてAVの世界の話でしょ?
そう口にしかけるが、何となく黙っておく。
自分が経験してないだけかもしれない。最近、なんとなくそういう可能性を感じてきている。
「やり方が、自分勝手で、強引なんだよね。私の事考えてくれてないの」
「そうなんだ…ひどい人だね」
騒々しい店内では、猥談もうまくかき消されてくれる。
Dは恋多き女である。彼女と仲の悪い友達は、こっそりビッチと呼んでいる。Aはそこまで悪感情は抱いていない。むしろ、あけっぴろげにそういうことを話してくれるのは、Aの性的好奇心をくすぐる。話していて面白い相手だった。
「あーあ、どっかにいい人いないかな」
「そもそも出会いがないよ」
「いまどきアプリですぐ探せるじゃん」
「やだよー、こわい」
「普通に出会うのと変わんないよ、そんなの」
彼女がどこで新しい出会いを見つけてくるのか不思議だったが、謎が一つ解けた。
「誰でもいいって感じ?」
「まさか。ちゃんと見極めてるよその辺は」
「どうやって?」
「顔」
「……」
「冗談だよ。少し話してると、分かるの。相手の考え方とか」
「価値観が合う、みたいな?」
「そこまで深くなくていいかな。危ない奴はすぐに分かるから、そこだけ気を付ける感じ」
「…わりと誰でもいいのでは」
「や、それにプラスで、トキメクひと」
「そこが難しいのよね」
「ちょっとでもね、キュンとさせるとこがあればいいの。あとは可能性」
「アクティブだよね…」
確かに、それくらいでいいのかもしれない。
保守的なAにとっては刺激的な考えだ。でも、私が深く考えすぎなだけかも。と、ちょっとだけ思った。
一人きりの時間
強引なえっち?ちょっとうらやましい。
家に帰り、一通り自分へのお手入れを済ませると、Aはベッドに潜りこみ、その話を思い出していた。
それはAの妄想にはよく登場するシチュエーションだった。一人きりの時、Aはいい子にしていない。秘密の自分は、妄想の中ではかなり自由に振舞っている。
自分の体温で温めらられたベッドに寝ころんでいると、体がじわりとほてる。
手が、股間に伸びる。
性欲自体は強めなのだと、自分で思う。
相手が欲しいと強烈に思うことは無いんだけど、妄想の中での自分はかなり過激に振舞っている。
押し込められた「地元」の檻から飛び出して、自由に振舞う想像をする。まるでDのように。
男を選び、男に選ばれ、遊びまくる自分。
AV女優のように、むちゃくちゃにされてしまう自分。
私は彼女のように可愛くはないし…でも、体は私の方がきっといい。
ほら、おっぱいだって大きいし。そんなレベルの低いマウント。
性的な目線に晒されることに関しては、Aの中に実体験として蓄積されている。
そんな目線を向けてくる男なんて大嫌いだ。
でも、それは意中の相手じゃないからに過ぎない。
そういう目で見られること自体は、本当は…
なりたい自分。なれない自分。
どうしても埋められない空白に押し込んだ、人には見せられない自分。
ただただ頭を真っ白にするように、股間の指を動かす。
ちょっとだけ、自分を壊すように。
呼気がうわずる。
短く、早く。
いやらしい行為に、没頭する。
普段見られている自分は、どこにも性に結び付かない。
いまだけ、自由だ。
誰にも、見られてないから。
誰にも、頭の中だけは、覗けないから。
小さいころからこの町に育った。
大人たちは、保護されるべき小さな存在として私を扱った。
唯一対等なのは同級生。
でも、ちょっとだけ上の存在というのがいない。
自分のうまくいかない何かや、情けない感情。
逃げたいときの、相談相手。
汚いものを受け止めてくれる人は、いないのだ。
大人になった今でも、清らかであることが求められている。
本当は違うのに。
私はもう、汚い性欲まで持った、一人の女だ。
「…っ」
自室で、息を殺して快感に身もだえる。
スマホを片手にすることも増えた。
いつしか読んだ文章が、映像が、頭の中によみがえる。
ひたすら愛撫され、性感帯を責め立てられる。
悲鳴に近い喘ぎ声。
あとはもう欲望のまま、エッチ、エッチ、エッチ。
そんな風に、男に扱われるのはどんな気分だろう
何も隠さず、はっきりと「性の対象」として認められた存在。
現実に私が体験してきたのは、照れくさいままちょっとだけキスして、挿入できる程度に濡れたら、あとはすぐに終わってしまうような、味気ないもの。たまにするバックが恥ずかしい。
むしろ、あれは相手がしたいからさせてあげてるのであって、私の望むものじゃない。
その証拠に、一人でするときはぜんぜん違う想像をしている。
激しく犯される私。
気持ちよくてどうにかなりそうな私。
好き勝手に、私のことなんて考えてないような男に犯される私。
ああ
本当はもっと、いやらしいことがしたいのに。
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