清廉な自分を守りきれない
さて、前記事 ”性を取り上げられた少女が負う心のダメージ”で触れたように
性への興味と、性の抑圧という板挟みにあったあなたは
「セックスなんて、そもそも汚くて悪いもんだし」
と無理やり論理としてのつじつまを合わせていく。
親が性に不寛容な場合だと、特にこうなりやすい。
同時に反抗期も迎えているので、親の言う事なんかいちいち気にかけてられないのだが
性の話は何も中学生から唐突に隠されるわけではなく
ごくごく小さい頃から、自然に避けられているはずである。
なので、そこに不合理は起きない。
「性は隠すべきもの、不浄なもの」
という部分はある程度納得したまま、新たに自分自身の内側から湧き出る「抑えがたい性欲」と戦うことになる。
女子の場合、自身の性欲の前に男子の性欲にちょっと引いていることもあり
性の汚らわしさというのもある程度納得がいく。
一部の女子は「エロなんてありえない」と、きっぱり断罪する。
でも、女子は自分自身がそこまで高潔ではないこともまた知っている。
汚らわしいと避け続ける性が、毎晩ベッドの中で、自分の手で行われている。
自慰が、余計にあなたを責め立てる。
潔癖なエロ拒否の殻に、やめたいのにやめられないその行為が、ぽっかりと穴をあける。
その穴からは、とめどなく、あふれ出てくる。
あなたの、どうしようもない弱さが、そこからあふれ出てくる。
大人はなんで性のことを隠すのか?
本当に、性はそんなに悪いものなのだろうか?
とりあえず同年代の男の子と付き合って、そこで初体験を済ます場合もあるが
それですっかり救われるという事は、あまりない。
同年代の男の子は、しょせん自分と同じ「弱い側」の立場であり、大人たちが隠している何かを理解している存在ではない。
では、大人たちからその答えを引き出せるのかというと法律という壁があるので無理である。
(この壁を破ってしまう大人は、残念ながらまともではない場合が多い)
周囲に大人がいて、あなたが死ぬほど勇気を出してそのことを質問したとしても、性の話だけは取り合わない。
それでも、本当に運よく、まともな誰かが、あなたの真剣な悩みに向き合ってくれるかもしれない。
だが、いざ話してみるとなんか違う、とあなたは思うだろう。
性の話というテーマではあっても、分別のある大人は当然法令に触れないように、具体的なとこは差っ引いて話す。
だから、大事なとこが抜け落ちているように感じる。
性や体は言語では説明しづらい。
言葉にしたものは、形のない感情を後から無理やり言葉に起こしたものでしかない。
直接ふれあう事でしかその意味を伝えることのできないこと、体温の温かさが色々な疑問を溶かすということを、言葉に直しても伝えられない。
それでも何とか、言葉で説明しようとする。
どうしたって、途中から白々しくなってくる。
まともな大人の語る性は、なんか嘘っぽいのである。
体のことを言葉にすればどうしてもいやらしくなるし、そのいやらしさに触れないままの解説は、どうも何かを隠しているように感じてしまう。
結局、誰にも答えを教えてもらえず、私って答えをもらうこともできない人間なのか、という間違った方向に考えは進化していく。
性の葛藤から不信感が沸き
不信感から、劣等感が生まれる。
負のループは、一度ハマるとそのまま深くなっていく。
深みにはまった人の一部はすっかり病んで、”自傷癖”が出てくることもある。
別に 自傷癖=性の悩み なんて言うつもりは全くないのだが
その一部にはやはり、アイデンティティの確立が含まれていて
そこには性の問題も少なからず含まれていると思う。
性欲に負け続ける自分の否定
残念ながら、性の「よいことか、わるいことか」の問答は毎晩布団の中で繰り返され
ほぼ確実にあなたは負け続ける。
だめなことなのに、やめられない。
嫌いなのに、股間だけは、別の生き物のように、快楽の味を覚えてしまう。
加速度的に罪悪感が増えていく。
ダメなことを、やめられない自分。
汚らしい性にまみれた自分。
周りのみんなは、きれいなのに。
誰も、何も悩まずに、楽しそうに毎日を過ごしているのに。
私だけが、うまく出来ない。
うまく出来ないくせに、やめられない。
私だけではどうにもならない何かなのに、だれも、手を差し伸べて救ってはくれない。
辛い、悲しい、消えたい。
あなた貴女はいよいよ、自分自身を自分自身で、追い詰めるようになる。
次話: ”放り投げたい自分自身と、離れてくれない体。自傷癖”
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