痛いのが好きなだけなのに?
「M女」と話していると気づく共通の特徴がある。
彼女らの多くが、思春期ごろの強い性欲を自覚していたのである。
それが、実際に同年代の女子より際立って強いものであったのかは知る由もないが、本人たちは、持て余していたようである。
そんな悩み、他人には言えない。
10代であればなおさらである。
私ばっかりこんなに性欲が強くて、ちょっとおかしいのでは、と思い悩みながら、誰にも言えないコンプレックスを日増しに強くしていく。
持て余したパワーがどこに向かうかというと、外に出せないのだから自分自身に向かう。この時、マゾヒスト的な性癖が潜んでいると、コンプレックスの中身は余計に複雑になる。
彼女らのうち一部は、刹那的な感情と探求心を持って自己破壊を行う。
”自分の身体を叩いたり、つねったりして、ジンジンする感覚を楽しむ”くらいならまだしも、ふとしたきっかけで ”「自傷」という言葉を知り、何とはなしにそれを実行” してしまう。
過激派のマゾヒストにとって、肌を割り裂きながら滑る刃物は甘美な誘惑である。
白い肌と鮮血のコントラストに耽美的な何かを見出すことさえある。
彼女らは、実際に傷ついた自分の身体を見て、安心する。
それだけではない、心の奥が、ずきんと痛む。
その熱い何かは、そのまま下腹部まで下りて行って、疼く。
後付けの罪悪感と葛藤
ここで、性への抑圧がもたらしたストレスが、形を変えて余計に自分を苛んでくるという悪循環が生まれる。
生傷を「発見」されると大変である。
「自分の体を傷つけるなんて、絶対にダメだよ」
「一人エッチなんて女の子がしてたらおかしいよ」
先の過剰な性欲の件も合わせて、自分が心のどこかで欲しているものをダブルパンチで否定され、すっかり参ってしまう。
そんなに、ダメなの?私の考えていることは…
痛みが気持ちいいのも、はしたなく股間を弄り回したいのも、素直な欲求なのに。
抑えておけだなんて、ひどすぎる。
正面切って言葉で言われることは無いかもしれない。
だが、繊細な彼女らは敏感に「無言の圧力」を感じ取り、どうやら常識から外れているであろう自分に思い悩む。
露見した先が身近な人だと、今度は矯正にまでかかられる。
何か、深刻な悩みがあるね。心に闇を抱えているね。
どうしても辛くなったら、言ってね。
なんなら病院に行こう。
やってる本人としてはただの痛み好きで快楽目的なわけで、そもそもその前段にはコントロール不能な性欲があるという言いにくい悩みもある。
だが、そんなに深い人生の悩みではないのだ。
ストレス解消!くらいの話である。
が、何度も何度も、そして誰もがそんなことを言ってくるので
あれ、私すごく悩んで悲しいって思っているの?
だからこういう事してんの?
そういうものなの?
と思い始め、今まで感じていなかった劣等感と罪悪感が芽生え始める。
これは、本人の辛さとは相関がない。外から植え付けられた後付けの罪悪感だ。
こうなると、べつに抱えなくて良かった悩みを抱えるようになる。
私は、普通の人と違うのだ。
いけないことをしているのだ。
そんなに言うなら、という事で(心配されたり、怒られることはストレスである)やめようと試みる。
やめたら今度はムクムクと湧き上がってくるのは性欲である。
一人エッチに逃げる。
もちろん、それはそれでダメな習慣なのだと意識の片隅で警鐘が鳴る。
もはや逃げ場がない。
更にきついのは、追い打ちのように掛けられる、思いやりという名の重荷である。
「もっと自分を大事にして」
そんな言葉をかけてくる同級生が、もはや異星人に見えてくる。
べつに大事にしてないわけじゃない。
というか、みんな、自分のことを現在進行形でそんなに大事にしてるの?
私なんか足りてない?でもどこが?
もしかして自分だけが異質さを持っているのか?という気がして、気持ち悪くなる。
私は、みんなと違うんだ。
あるべき人間の姿から、ずれているんだ
次第に、そんな思いが強くなる。
何ということはない。
知らなかった頃は、なにも気にしていなかった他人とのズレ。
強い自己否定は、そんなロジックで生まれ始める。
(続き)人と違うということ、その壁に思い悩む女性のための話
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