メンヘラとM女の内面に潜む共通点…自己破壊願望

自罰的M女(アーカイブ)

植え付けられた罪悪感、他人が作った「なりたい自分」

(前話:”自傷癖”)

清廉潔白で、他利的で、博愛に満ちた人柄。素敵な人、と言われてイメージするのはそんな人物だろうか。もっと成功者的なイメージかもしれない。頭脳が明晰で、容姿が端麗で、お金にも余裕がある…
ダメな自分を自覚している人は、そんな理想を思い描いては、なれるわけがない…とあきらめを繰り返しているだろう。そもそも自分の内面に整理がついていないのに、はるか遠いゴールを目指すのは無理がある。
ではどう整理をつけていくのかというと、一歩目は「素直になりたい」が来る。ここでもつまづきやすい。
素直な気持ちだからと、悲しみや辛さを吐き出し続けてしまうのである。何かから逃れるためだけの人生は辛い。もっと根本的な、本当の自分との「ズレ」に向き合わなくてはいけない。
””性を取り上げられた少女が負う心のダメお過程が描かれている。少女たちはいつの間にか、自分の欲求を忘れ、他人から与えられた罪悪感で苦しみ、本心とタテマエを分けて演じる自分自身を醜いと思い悩む。
”性を否定しながら性欲に負けるという矛盾”では、価値観の対立に耐えきれず、自分の汚さのほうを悪者とみなして解決しようとする女の子が描かれている。
この考えに入り込むと出口が無くなってしまい、病んでいく一方になる。

”放り投げたい自分自身と、離れてくれない体 ”では耐えきれなくなった女性がついには自己否定に陥っている。
「こんな自分の方がおかしい」
という気持ちが膨らみ、おかしいものを破壊しようとして自傷という一つの極端な手段に出ている。

こういう気質を持つ少女たちの間では、自分という存在との攻めぎあいが行われている。
ダメなやつなのに、なぜ生きているのか?
生きているのに、なぜダメなやつなのか?
頭の中をぐるぐると回る「存在する」ことと「存在してはいけない」気持ちの答えを自分の体に直接聞いて、答えを引き出そうとする。

彼女たちが大人になると、いったいどうなるのか。
ここでやっとSMの話に繋がる。
常識では許容されない「わざと体に傷をつける」行為に、メンヘラ的心理と自罰的M女の共通項を見るのである。

自己否定と、自己破壊願望

自傷を他傷に置き換えてみると、SMが成立する。

自傷と言うと深いリストカットを想像し「それとこれとは違う」
という話にズレていきがちだが、程度の問題にすぎない。
傷の深さ、痛みの強度をどんどん小さくしていけば、スパンキングになりえる。それを自己破壊の願望に沿ったものと考えても、矛盾は生じない。

体に直接痛みを生じさせる傷じゃなくてもいい。罵られてうっとりするM女は、心を傷つけたい衝動に支配されているかもしれない。

自己破壊の根本には、先に挙げた3話で追ったような、自己否定という感情がある。

自分自身への制裁

彼女たちは、本当はシンプルに生きたい。
自分がいいと思っていることを、そのままできる自分に、なりたい。

なのに、自分が存在している事すら全面的に肯定できないという、とても苦しい心理状況にある。
不安定で、行き詰まった気持ちを解決できないまま、そこで打ちひしがれるしかないのだ。

もしも、ぐちゃぐちゃになった「自分でもいいとは思えない部分」をきっぱりと壊してしまえたら、どんなに楽だろう?

そのためには、体を傷つけたってかまわない。心を傷つけたってかまわない。
私が何も得られなくても、私が ”引き算”されちゃってもいい。
いまの辛い気持ちさえ、なんとかなれば。
そんな可憐で純粋な願望が、あなたを突き動かしている。

しばらく前に描いた”C”は、傍から見れば、分かりやすいメンヘラである。だが、本人的には悲しい気持ちや辛い気持ちは前面に出ていない。そこにあるのは自己破壊の感情だけである。

悲しさ、辛さにつながる鬱っぽい感情はいわば副産物で、そういう感情が伴わなくても自己破壊願望というものは存在しうる。
Cの傷の深さ、痛みの強度をどんどん小さくしていくと、”B“のような女性が生まれうる。彼女はメンヘラっぽさがないが、マイルドな自己破壊願望を秘めている。
基本的な能力は高いので、自分でどんどんプラスを積み上げていくことは出来るのだが、それがどうも身の丈に合わない気がして、自分を罰する…つまり、わざと不利になるように仕向ける。
存在することがおかしいのだから、幸せになるのもおかしい。
その矛盾が生じないように、引き算しながらバランスを取ろうとしているのである。

セックスと切り離された、理解のプロセスとしてのSM

M女の中で、「SMはしたいが、セックスはしたくない」という人が居る。ノーマルがイメージするのはSM≒セックスであるので、この考え方は妙に感じる。
SMをしている人はしている人で「SMとセックスは違う」と言うのは何となくわかる話なのだが
じゃあ一体どう違うのかと言われると、うまい説明を見たことがない。
「精神的なものなのだよ」などと言うのがせいぜいである。

だが
自傷=M女=自己否定
として見ていくと、セックスとのつながりの薄さも何となく理解できる。
男性に挿入されるという行為は、自己否定にはならないのである。

セックスは普通愛情を示すものである。それをされて、自己否定になるのかという話である。

愛情がないセックスは、男性側の排泄である。繊細に傷ついたあなたの心と排泄もまた結びつかない。
セックスとM女が直接に結び付く変則的なパターンが一つあり、望んでもいないのに無理やり犯されたいというタイプである。これはいわば自己否定、自己破壊を性を通して行う、自傷的なセックスとでも言うべきものである。自傷的なセックスを好むM女は、男性側の性欲とは全く関連しない動機を持って挿入を是としている。

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