依存って?
依存症を辞書で引くと
ある物事に依存し、それがないと身体的・精神的な平常を保てなくなる状態。
goo辞書
とあります。つまるところ
「依存対象がなくなった時、その人が困る」
という状態のとき、依存対象の名前を付けて〇〇依存と呼びます。
アルコール依存症は分かりやすい例です。
近年では1杯でも依存症と診断される場合があります。
そんなばかな、つぶれるまでたくさん飲む人の事じゃないの?
と思うかもしれませんが、そもそも体質によって、つぶれるまでの量は全然違います。
体質的にたくさん飲める人とそうでない人が居るので、絶対的な量ではなく「本人が困ったら」という主観的な尺度が用いられるのです。
これでもまだ「困る」の捉え方で変わってしまうので、何とも曖昧な感じです。
たとえお酒をつぶれるまで飲み続けていたとしても、翌日平気な顔をして、にこにこ人と会話していればこの人は依存症とは言えません。社会的機能が失われていないからです。
飲まないと不安だ、ソワソワする、眠れない…などの理由で隠れて1杯を飲んでいる人は依存症とみなされる可能性は高いです。
アルコール無くしてはコントロールできない要因があるからです。
依存症についてもう少し紐解いてみましょう。
依存すると何がダメなの
依存症は脳内ホルモンであるドパミン系を活性化するもの全てで問題になります。
ちょっと怖い話になりますが、話を分かりやすくするため、依存物質の代表である麻薬の話をしましょう。麻薬は摂取するとドパミンが出て快感が得られるため、繰り返し使用したくなります。
それがなぜダメなのか?
まず「法律で禁止されているから」という明快な解釈が得られます。
社会的制裁という著しいデメリットがあるわけです。
じゃあ罰が無ければいいのか?という話。
いいえ、ダメです。
その物質がなくなると生活が立ち行かなくなってしまうのです。
肉体的依存は、体の具合が悪くなります。風邪をひいた時のように、吐き気、めまい、倦怠感などで活動できなくなり、社会的生活が困難になります。
精神的依存は、頭の具合が悪くなります。行きつく先は精神病です。対人能力が失われ、社会的生活が困難になります。
こういった問題を引き起こす可能性があるため、麻薬は規制されているのです。
依存のコントロール
上記記事の中にもちょっと出てきますが、人間は「快い」を学習し、繰り返すように出来ています。
何かを達成したときも出ます。
世の天才たちが、考えたくもない難問に日夜挑み続けるのも、きっと達成感という快感を得たいがためでしょう。
快いの正体はドーパミンという物質です。
ドーパミンが出た時の行動を繰り返すのです。
薬物はドーパミンそのものだったり、分泌を盛んにさせたりする働きを持ちます。
アルコールはGABA神経系を介して、間接的にドーパミンを増加させます。
美味しいものを食べた時、ドパミンが増加します。
度の過ぎたグルメも仕組み的には依存症なのですが、これが問題視されることはあまりありません。
食事は生きていくのに必要だし、人に隠さなくてはいけないものでもありません。
文化的に許されているからです。
つまるところ、ドパミンを得る行為そのものは絶対悪ではありません。
(当たり前ですが…)
たまたま社会的機能を阻害しているものを依存と呼んで区別しているだけです。
治療した方のメリットが大きいからです。
ポコポコ沸いては消える、聞いたこともないような○○依存症
も、このモノサシで測ってそういう名前を付けているだけです。
したがって、今現在は依存と呼ばれてないモノもたくさんあります。
まとまった集団として発見されていないだけかもしれません。
性依存症なんてのもある
セックスしたくなったら性依存症です。
え、そんなこと言われたら…ギクッとしてしまいますね笑
性欲は誰にでもあるし、セックスは本来我慢するようなものではないはず。
生殖は人間に自然に備わった機能だからです。
一体いつから依存症扱いになったのかというと、社会的な役割よりも性行為を優先するようになった人たちが見受けられるようになったため、これを性依存症と名付けました。
セックスばかりしている人でも、夜に婚約者とするのは構いません。
が、昼に仕事をさぼってするようになったら依存症です。
性行為をして気持ちよくなった時、ドパミンは増加します。
依存のシグナルと見分け方
誤解を恐れずに言えば、人はみな依存症か、その一歩手前なのです。
積極的に依存せよという主張はしませんが、名前にビビることはありません。
逆にして考えてみましょう。
社会的機能を維持している限り、それは問題ではありません。
どんなに夫婦でたくさんセックスしても、おいしい料理を食べても問題はありません。
そういう心地よさを求めるのはむしろ健康とみなされます。
この範囲にとどめることが重要なんです。
裏に見えるキーワードは自立です。
それが無くても個人が成り立っているならOKです。
歴史上の偉人も変な事ばっかりしています。
性的に逸脱していることも少なくありません。
ご主人様の存在も、あなたにとってポジティブなものであればOKです。
一時的に増えたドパミンが引けると、相対的に不幸、不快を感じます。
この虚無感も依存が悪とみなされる一因です。
依存体質の人の特徴
さて、そろそろSMの話をしましょう(笑)
なんでこんなに依存の話をしているのかというと、Mさんに依存体質の人が多いからです。
この事実はアンケートから明らかになっています。
依存体質の人というのは、つまるところドパミンがイマイチ分泌しにくい人なのです。
普通の生活では中々「快」が得られないため、刺激的な行為や、物質を使ってドパミンを増加し、バランスを保とうとします。
SMのような性癖も、この関係に結び付けて考えることができるでしょう。
ご主人様依存症もあるんじゃないの
SM界隈ではよく見られるのがご主人様に依存しているタイプです。
ご主人様が居ないと精神の平穏を保てない人も依存症です。
SMをしないとダメな人も依存です。
自分が困ってなくても相手を困らせてたらダメです。
相手がいないと、自分が成り立たないなら、それは依存症なのです。
タイプ分け、で見た3種類もすべて行き着く先はドパミンです。
Sの中にもMに言う事を聞かせて自分の存在意義を見出す人もいます。
結局、お互いに居なくても、お互いが平気な状況でなければ健全とは言えないのです。
むしろ、いなくてもいいのに好き好んで一緒に居る状態こそが理想のカップルと言えます。
SMもこれと同じで、SM行為が無くては成り立たない関係よりは、ノーマルの恋愛に行き着いた方が健全です。
少し寂しい結論ですが、これが真実です。
この辺をごまかすと変な方向に行きます。
(以下は参考記事です)
SMで依存をコントロール
それでは難しすぎるので、ちょっとだけSMをする。
つまり、依存にならない程度にコントロールし、SMを取り入れていけば幸せになるのでは?
依存およびSMという単語が怪しさを際立たせていますが(笑)普通の恋人同士が適度にエッチしているのとほとんど変わらない話です。
仲間とたまに酒を飲むとか、おいしいものをほどほどに食べるとか
人間らしい生活そのものです。
人はだれしも、工夫しながらドパミンを増やす生活習慣を身に着けています。
白いゾーンでは、この健全さとSMを結び付けようとしています。
SMにはけがなどのリスクがありますが、もともとドパミンの量が低すぎる人にとってはメリットがデメリットを上回る場合があります。
薬と一緒で、全体としてみてよいなら取り入れた方が人生が豊かになります。
やりすぎないように気を付けましょう。
また、一部の「ご主人様」は、Mさんの依存体質を逆手にとって、依存症にしようとしている人がいます。精神的調教…とか言ってる人には十分注意しましょう。
コメント