性格の偏りは病気?
前回の記事で書いた通り、脳内ホルモンは偏りを生じることがあります。
大きく崩れると病気扱いです。そうでなければ、病気未満です。
脳内ホルモンが体質的に偏る人は、常に病気未満の微妙なゾーンに居ます。
例えば「鬱」は症状ですが「鬱になりがちな性格」は症状ではありません。
性格なので、ただの傾向と片づけられるかもしれません。
しかし、本人からするととても大変でしょう。
精神医学的には、あまりに性格の偏りがあると日常生活にも支障をきたすので、病気として扱います。
病気と見なされるほどの性格の偏りはパーソナリティ障害と呼ばれ、いくつかの類型があります。
当サイトで紹介している心理テスト
当サイトの人気記事(下記参照)からリンクしている心理テストも、パーソナリティ障害の診断を元にしたものです。
この心理テストの結果を「病気か、そうじゃないのか?」の白黒で考えると本質を見失います。
フツウと病的との間にはグレーゾーンがあり、多少の病質を持ちながらも健常な社会生活を送れている人がいるのです。
大切なのは、自分の性格の特徴に気づき、楽に過ごせるようにコントロールすることです。
病気と見なされるのはあくまで社会生活が困難な場合ですが、そこまでいかなくても「何となく困ってる」「生きづらい」の状態で何とかやっている人もいます。
性癖とパーソナリティ障害?
当サイトでは前々から
・SMとノーマルの間にグラデーションがあり
・そこにはSMという「性癖」に紐づけられている、一般的な意味でのMさんと
・実は「性格」に偏りがあるため、たまたまSMというカテゴリに入ってきているMさんがいる
という主張をしています。
(そして、後者は本当はSMじゃなくて、いまだに名前の付けられていない空白地帯の人であるとも)
何を元にそんなことを言っているのかというと、パーソナリティ障害の考え方が元になっています。
他の記事でも、時折この観点からの描写が強いものがあります。
一次障害と二次障害
溺れている人がいて、それを救助しに行った人が一緒に溺れてしまう…というような話があります。
このとき「二次災害が起きた」と言います。
溺れている人がいる…一次災害(最初に起きた災害)
救助者が溺れている人に掴まれて溺れる…二次災害
です。
同じように、病気に関しても一次障害、二次障害という考え方があります。
例えば
右足をケガする(1次)
松葉杖をついて歩いていたら、慣れない姿勢で腰を痛める(2次)
といった具合です。
実は、鬱や依存もそうなり得ます。
パーソナリティ障害である(1次)
パーソナリティ障害なので、社会にうまくなじめず鬱や依存になる(2次)
ここに3次を付け加えると、ようやく主題に辿り着きます。
鬱や依存に相性のいいSMの世界に飛び込む(3次)
(注釈: 因果関係はあくまで例であり、パーソナリティ障害が併存せず、鬱や依存が一次障害となる場合ももちろんあります)
1次障害という素因を取り除くことで、2次障害も取り除かれ、幸せになれる可能性があります。
パーソナリティ障害
難しい話になりますが、パーソナリティ障害を紐解いていきましょう。
分かりやすい論文が一つあります。
人格障害とメンタルヘルス
パーソナリティ(人格)は、ある状況に出くわした時に、それをどのように認識し、対処するか?という認知の集まりです。
パーソナリティ障害は、この認知が病的に偏ったものを言います。
Mさんに関係しそうなのは、次の3者です。
DPD(依存性パーソナリティ障害)
SPD(スキゾイドパーソナリティ障害)
BPD(境界性パーソナリティ障害)
この3者のポジションを図にすると、下記のようになります
依存的(DPD) ← 両者の境界(BPD) → 孤立的・空想(SPD)
BPDを境目として、どちらかに振れると名前が変わるということですね。
DPDは、他者への強い依存を特徴としており
SPDは、他者への興味の薄さを特徴とします。
BPDは、他者への強い依存と、興味の薄さを行ったり来たりすることを特徴とします。
もう少し言い換えると、
現実検討力が高い(自分が接し得るものに執着)と依存、低い(空想的なものに執着)だとスキゾイドになります。
何となくイメージがついたでしょうか?
論文では、以下のような表現になっています。
人格障害には、2つの系列がある。一つは、境界性人格障害(BPD)他の一つは、統合失調型人格障害(SPD)であり…両者の差異は、BPDが身の回りの具体的な他者(たとえば同級生)に同一化の対象を求めるのに対し、SPDにおける同一化の対象は身の回りにいない遠くの他者(たとえば歌手)であるという点に存在する。
人格障害とメンタルヘルス
BPDのはなし
BPDに多く見られる特徴は、依存と鬱、不安、自傷とされています。
この特徴は、SMの世界に割とマッチしています。
心理テストの結果を見ても、実は境界例スコアは上位に位置しています。
自分を「Mだ」と感じている人と、この共通性は興味深いところです。
さて、BPDに関してはwikipediaが分かりやすいので見てみましょう。
BPDの患者は自傷行為を習慣的、嗜癖的に行う際、不安や痛みなどの不快反応を感じにくいことが知られているが、脳機能のレベルでも痛みに対する体性感覚野の反応が低いこと、自傷行為により、不安を生み出す性質を持つ扁桃体の反応が一時的に抑制されることが示されている[119]。これらの研究から、患者は自傷行為を行うことにより本能的に、気分調節を自己治療的に試みている可能性が示唆されている。
wikipedia:境界性パーソナリティ障害
ふつうの人にとって痛いことはデメリットであり、不安よりも優先して回避されるのですが
BPDの人は痛みを感じにくくなっており、不安を自傷で解消することができるという理論です。
自傷とSMの関係については先ほども紹介した別記事で触れています。
また、BPDの人は揺れ動きやすい自分の感情を処理するのが難しく、攻撃性が強くなる場合があります。
一人で居たいのに孤独に耐えられないという妙な特性もあり、二次障害としてうつ状態になりやすいと言われています。一方で援助してくれる人が現れると、べったりと懐くのも特徴的です。しかも、状態もかなり安定するようです。
主要対象が安定して存在する時にはBPDの病像は抑うつの水準にとどまる
人格障害とメンタルヘルス
脳内ホルモンの話で言うと、BPDの人はセロトニンとノルアドレナリンがアンバランスであるとされています。
SMと生きづらさのつながり
一部の「Mさん」は、傷によって安定を図るという点でBPD像によくマッチしているように見えます。
DPDは言うまでもないでしょう。
また、時折「SMしたいけどセックスはしたくない」という人が居ます。
SPDは他人への無興味(性行為含む)と、空想を愉しむという特徴があります。
SMプレイを現実ではなく、何らかの儀式や概念と捉えた場合は良くあてはまりそうです。
一部のMさんは、こちら方に振れている方も居そうです。
本当にそんなことあるの?という話ですが、そういう研究をした人は今まで居ないようなので、確たることは言えません。本記事もMさん=パーソナリティ障害である…という主張をするものではありません(レッテル張りをするつもりは毛頭ありません)
ただ、SMを好む人の特性と、パーソナリティ障害の特性はよく似ており、繋げて考えても無理は無さそうだ…という印象を僕は持っています。
ある論文では、モデルとして「パーソナリティ障害が全くない人は存在せず、健常者とパーソナリティ障害の間には連続したグラデーションがあるに過ぎない」と言った主張もされていました。
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