この写真は、体験談の冒頭のところにある描写をそのままAIに食わせて生成したもの。
使ったのは、比較的外見に関する表現の多い ”結愛”と”ルカ”。
AIのイメージがつかない人もいるかと思うが、例えば本人の写真から似てる写真を作るとか、そういうものではない。
「愛され女子」とか「量産型少女」というキーワードをもとに、それっぽいイメージの画像を作ってくれるものである。
結果としては、どっちもご本人とは似ていない。すごく遠くにそのエッセンスを感じるかな~…くらい。
まあ、似ていたら似ていたで逆に使わないんだけど。
僕はドキュメンタリーとしての意味合いを損なわない範囲で、プロフィールに関してもボカシを入れて書いている。
個人情報的なものはもちろん避け、ついでに見た目の特徴についても細密すぎないようにしている。
基準としては「その人の直接の知り合いが見ても本人と断定できない」にしている。
知りあいじゃない人が見ても分からないのは当たり前というか、心配するようなことでもない。
仮に顔が丸出しになっていたとしても街中で気づくことなんてないだろう。
相当似ていても他人の空似じゃないか?という気は捨てきれないと思う。
だから、問題は知りあいが見た時なのだ。
そこで「アレっ?」と思われるようでは安心して体験なんてできないでしょう。
バレるときはアクセサリーとか服の柄からバレるので、そういうものを映さないのが肝心だ。
一番いいのは写真なんか使わないことだけど、まったく絵がないと読み手を選びすぎる(読書家以外は読まない)ということもあって、使うところには使った方が読者体験としては良くなる。
とはいえ当人の身の安全の方が大事だと思うので、極力写真は載せない方針に変えた。
サイト全体で見ればまだ一部には残っているけど、モザイクきつめ、雰囲気程度だ。
誰の写真だ、なんて分かってほしくないから、今後はAIで生成した画像に置き換えていくつもり。
僕のドキュメンタリーは文章がドキュメンタリー(単語の意味が崩壊しそう。ルポタージュ?)なのであって、画像は想像を助けるヘルプに過ぎないから、それでいい。
AI画像は本人と関係がなく、かつ文章に効果的にイメージを付け加えられるという点で優れていると思う。
本人写真やプレイ動画を載せる、というのは集客につながる。
がっつり肌色を載せるインパクトは大きい。男女問わず、欲情を誘う効果はあるだろう。
また「載せてるから本当にプレイしている証拠」と主張している場合もあるらしい。
この辺の論理はちょっとわからない。本人かつその時のプレイ、というのは顔を丸出しにでもしない限り証明できない。
さらに時代は変わってAIがこれだけ出てきたので、本物と見分けのつかない裸体やSMっぽい写真なんていくらでも作れる。何の意味もなくなったのだ。
AIによる文章生成ももうすぐ波が来るだろう。こちらは人間とまだ差があるが、レベルが上がれば見分けがつかなくなる。だからいずれ、白いゾーンの文章も意義をなくす。時代の波だ。
その時までに、僕は一体何ができるだろうか?
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