”僕”の過度な理想化

コラム

タイトルよく分かんないですけど、そんな難しい話じゃない。
僕について、あまりに良いものだと思いすぎて、結局コミュニケーションを失っているときがある話。
最近はだいぶ平易に書くようにしているから少ないけど、もうちょっと重厚感をもたせていた時は度々あった。

神格化

ブログを読んで救われました、という反応をいただくことがある。
サイトのすみっこに救いになる話をちょくちょく入れているつもりなので、こういう反応は嬉しい。
そこからさらに、直接お話をする仲になることがある。

中には芯から僕のことを気に入ってくれて、神様のごとく見てもらえる時だってある。
神格化である。
神格化はよいことか?当人にとってはよいことで、僕にとっては難しいことと言える。

ポイントは、あくまで神様的なものとして僕を見ているのだ、という点。
僕をずいぶんありがたいものとして、一挙一言に反応してくれるので
では直接体験もしてみますか?となると「それはちょっと…」という感じになる。

会って性的なことなんてしたら、その辺の男と同じになってしまうから。
あるいは、自分と変わらないことが分かるから。
神性なんて無くなってしまう。

つまり芯から気に入っているわけでも、パートナーとか男として見ているわけではなく、その枠内で立派でいてほしい
ということなんだと思う。

時々こういうことが起きて、僕のほうも何とも言えなくなる。
救われるという点で僕の書いたものが役に立っていて嬉しい。
でも、それは僕自身からは切り離されたコンテンツになってしまっている点で、寂しいような気もする。

大事だからこそ関係は持ちたくないです。別の人とします(そうですか…)

他のご主人様が/彼氏ができました(僕をなんだと思っていたのか?)

偶像化

偶像=アイドル。
神格化と似ている。神様とは違うけど、もうちょっと人間寄り。
Sとして理想形だと思ってもらえている場合。
そして体験に至りつつも、しかし長続きしないパターン。

「思ったより俗っぽいのね。もっと賢いかと思った」

みたいな反応で、要は僕が人間臭いとダメなようである。
同じ人が書いてしゃべっているのだから、中身の程度は変わらないはずである。
ただ、文章はかなり気を使って静謐に書いている。
口語で話すとき、そこまで気を使わない。
使えなくもないけど、使わないで人間臭さがあったほうがいいと僕は思ってる。

そして、論理は文章で伝えるものであって、会話で伝えるべきものとは思っていない。
話すときは単純、シンプル、簡単でありたい。
だからだいぶ緩く話している。

結果的に、なんか違うなー感が出てしまうわけ。
申し訳ないとは思いつつ、僕は僕で「理想のS」になんぞはなりたくないので、スタンスは崩さない。
しょせんSも人間であり、そこには不完全さが含まれるべきだから。

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